高級コールガールについて

一晩で数十万、数百万を取る高級コールガールの秘密とは?

とは電話の呼び出しに応じて客のもとへ出向く売春婦の事です。

 

売春女性がいくらで身体を売るのかは、その国の経済環境や、需給関係や、女性の容姿で決まる。

 

しかし、いろいろな商品にも高級品があるのと同じく、女性にも超高級な価格を取る「高級娼婦」「高級コールガール」と呼ばれる女性も世の中にはたくさんいる。

 

イタリアの元首相シルビオ・ベルルスコーニ首相がパトリツィア・ダダーリオという高級コールガールに一晩の料金で払ったのは12万円だった。

 

何人ものサッカー選手を破滅に追いやったフランスの高級コールガールだったザヒア・ドゥハールは2010年、一晩約25万円で売春ビジネスをしていた。

 

ニューヨーク州知事だったエリオット・スピッツァーを破滅させた高級コールガール、アシュレイ・デュプレは一晩40万円から50万円で売春ビジネスをしていた。

 

さらに、彼女が所属していた組織「エンペラーズ・クラブVIP」の他の女性は一晩100万円以上を取る女性も多かった。チャーリー・シーンがラスベガスで買っていた女性は一晩200万円を取っていた。

韓国籍のコールガール、「過激すぎる服装」が目を引き台湾で捕まる―台湾

台湾・聯合報によると、台湾新北市の現地警察は同市のビジネスホテルで、違法な性サービスを行ったとして中国籍と韓国籍のコールガールの身柄を拘束した。

 

当局によると、韓国籍の女は客にサービスを終え先に部屋を後にしたが、そのあまりにも過激な服装が警察官の注意を引いた。当局は部屋の中で売買春が行われていたことを突き止め、調査を進めた。

 

韓国籍のコールガールとは言葉が通じず、女は非協力的な態度を取っていたが、警察官の中に韓国語を話せる者がおり、その警察官が韓国語で話した途端、女は驚いた様子を示しながらも笑顔を見せ、矢継ぎ早に話し始めた。韓国籍の女は「台湾には観光で来た」と話し、男性と関係を持ったことは認めたものの、報酬はないため売買春ではないと語った。一方、彼女と関係を持った男は「ネットで交渉し、5000台湾ドル(約1万7000円)支払った」と供述している。

 

その後の調査で、韓国籍の女はここ数年で台湾に5度訪れていることが分かり、当局は女が売春目的で台湾に訪れているとみている。2人のコールガールと客の男はそれぞれ1500台湾ドル(約5000円)の罰金を受け、コールガールを送迎した運転手は身柄を拘束され、取り調べを受けている。

100万ドンの高級品…コールガール

モデルのように美しく、まるで良家のお嬢様を思わせるかのように垢抜けた女の子が高級バイクDylan(Honda)を乗り回し、シャネルの香水の香りを漂わせている。まさかそんな彼女たちが、ホテルに入ってから部屋を出るまでの“商品”と思う者はまずいないだろう。彼女らはホテルに入るとLa Vieのミネラルウォーター、ハイネケンビール、そしてコンドームをオーダーし、客の部屋に入る。そして仕事が終わると報酬の100万ドン(約67ドル)をブラジャーの中にねじ込み満面の笑みで部屋を出て行くのだ。
彼女らの存在はすでに金回りのいい遊び人たちの間で有名になっており、“Dylanコールガール”と新語まで誕生した。彼女らは数人で「@(Honda)」「SH」「Dylan」などのバイクのブランドごとに仲間を結成するが、このブランドによって彼女らの商品価値に高級感が増し、彼女ら自身の値打ちが決まるわけである。ホテルやディスコのような紹介拠点がないにもかかわらず、彼女らは“コールガール”と呼ばれることを嫌う。理由は簡単だ。彼女らは単なるプレイガールで、この仕事で生計を立てているわけではないからだ。
ある確かな情報筋から、私たちは“1回”100万ドンという“高級品”20人の携帯電話の番号のリストを入手した。情報を提供してくれた男は「気張りすぎるなよ、いい子はまだまだいるんだから」と忠告した。8つの電話番号を経てようやくNhatという名前の仲介者にたどり着いた。その彼と正午にハノイの“通”な人々が集まるZカフェで落ち合う約束を取りつけた。私と彼が話している間、彼と一緒に来た若い女の子と青年は見張りのため外に立っていた。Nhatは短髪をブロンドに染め、鼻と臍にリングのピアスをしていた。連れの女の子はQuynhといい、肩と胸が大きく開いた露出度の高いシャツを着ていた。Nhatは「僕は20人近くの“商品”を取り扱っています。歳は16〜19歳、学生もいて、みんな@、SH、Dylanに乗っています」と言った。私たちが「サイゴンに何人か連れて行きたいので、先に顔を見せてくれないか。金は払う」と話すと、彼は「彼女らは“仕事”がしたいだけなんですよ。お客さんがどこのホテルの何号室にいるかがわかれば女の子をそこへ行かせます。その子が気に入らなければすぐに他の子を調達します。料金は一律100万ドンです」と言うと、今度は声をひそめて「すみませんね。彼女らは裕福な家の娘で、彼氏持ちの子もいれば家庭がある子もいるんですよ。だから表ざたにはしたくないんです」と言った。
そよそよと風が吹き、柔らかな日差しがハノイの少女の頬をほんのり染めるある晩秋の昼下がり、私たちはM通りのあるホテルに女の子をよこしてくれるようNhatと約束した。約束の時間を15分過ぎた頃、シルバーのDylanと水色のDylanに乗った“商品”が到着した。2人の美女は金髪で香水の香りを漂わせ、頭のてっぺんからつま先までブランド品に身を包んでいた。彼女たちはホテルの従業員に向かって、「4階のTuanさんに会わせてちょうだい。約束があるの」と傲慢な態度で言うと、ショートブーツをコツコツと鳴らして赤絨毯の敷かれた階段を昇っていった。部屋のドアが開かれた時、私の友人であるTuanは息を呑み、どちらの子を選んでいいかわからず悩んだという。1人が甘い北部弁と丸く形のいい胸でTuanを挑発し、彼にもたれ掛かって聞いた。「ねえ、どっちを選ぶの?」。Tuanは迷いに迷った挙句、Tという子に決めた。もう1人の子が「帰りのタクシー代をちょうだい」とせがんだため、Tuanは10万ドン札を取り出して手渡した。それから改まって「料金はいくら?」とTに聞くと「Nhatが言わなかった?*怎hンよ。そこから彼に30万ドン(約20ドル)手数料を取られるのよ。今度直接電話してくれたら70万ドン(約47ドル)で済むわ」と答えた。Tuanは「OK!」と答えるとドアを閉め、部屋の明かりを消した。
事が終わった後、Tuanは「ビロードみたいな肌だったよ。Hai Phongの子で歳は18か19かな。慣れたもんだったね」と言った。Tは前後を見まわし知った顔がないかどうか確認しホテルを出た。Tは良家のお嬢様のような純真無垢な顔をし、ゆったりとした動作で街の中心と反対方向に向かってバイクを走らせていく。自宅はハノイのLy Thuong Kiet通りにあると言っていた。
ハノイでは、Nhatは新米の仲介者だ。彼の専門は若くてきれいなハノイの学生たち、そしてQuang Ninh省、Hai Phong市の女の子たちである。その他にも別の仲介者らは他省から“商品”を集めているという。Tuyen Quang省、Lao Cai省、Yen Bai省からハノイに上京してきたばかりの若くてきれいな女の子たちが、金銭的な誘惑に勝てず軽い気持ちで手を出したが最後、奈落の底へと滑り落ちていく。仲介者を通してだけでなく、「芸術大学会」「ダンススクール会」や16、17歳で学校を辞め遊び歩いている子たちの「ハノイ美女会」などのグループに所属し“仕事”をしている子たちもいる。「いいバイクにはいい女(男)」というのが“Chinh姉さん”や“Hieu姉さん”のような名の知れた仲介者――男女問わず“商品”を“育成”する同性愛者の無頼漢たち――のポリシーだ。この“姉さん”たちの仕事のやり方は、まず、きれいな娘と知り合いになりデートに誘う。何回かデートを重ねて携帯電話の番号を聞き出した後、それを仲間や客に流すのだ。「ハノイ1の美女」と人々が崇めるMai Kaでさえ、この“姉さん”たちの餌食となっている。この業界での“姉さん”たちの影響力がいかに強烈であるかは明白だ。これらの仲介者が“100万ドンの高級品”のルートを形成するようになったのだ。
このコールガール業界における“最高級品”は、モデルや歌手(この業界では“素人”)、自称VIP専属という子たちである。私たちがハノイ出身でぽっちゃりした西洋系の顔立ちをしたTrinhをコールしたとき、彼女は「Thoi Trang Treの雑誌のモデルをしてるの」と言った。「何号誌に載ってるの?」と聞くと、彼女は慌てて「才能がありそうだからって、記者の人が写真を撮らせてって言ったの。主人の母が私の写真を見て“ミス○○”みたいだねって言ったのよ」と言葉を濁した。さらに、サッカーの賭けのためにDylanを質に入れたばかりだということ、夜は夫がいるので“仕事”ができるのは昼間か夜11時以降だということを話した。またある雑誌のモデルをしていたHという子は、北から南まで遊び尽くしたという。ホーチミン市で入れ墨に興味を持ち、体中に入れ墨を彫った。ハノイに戻ったときには人気が落ち、金も底をついたため、悔しさをこらえて100万ドンの“商品”にならざるを得なかったという。
12月初めの晩、凍てつく寒さの中、私たちは仲介者の1人であるHoangと共にハノイの業界舞台裏に足を踏み込んだ。Hoangは、ダンススクールやタレントスクールを出ているプロのタレントの中から美女を集めハノイの“通”な人々に調達する供給源であるMai Dich地区のごろつきの1人だ。Lien Tri通りに行くとカラオケ店の鮮やかなネオンが連なっており、自動車が路上に列をなしていた。Hoangは「ハノイ選りすぐりの美女たちがよくこの辺をはしごするんだ。料金もファーストクラスさ」と言った。私たちはHale Clubにダンスを見に行った。ダンスステージは客が見上げる顔の高さに設けられており、客はビールを煽りながらアップテンポの曲に合わせて激しく踊る女の子たちを仰ぎ見る。Hoangが何人かの子を指し名前を教えてくれた。その子たちは新顔の客と一緒にいる彼を見て、恥ずかしそうに挨拶するのだった。100万ドンの“商品”は、よくここに来ては自らをセールスするという。夜が更けると彼女らはこの周りに集まり、Cam ChiやTong Duy Tanなどの飲食街で夜食を済ませ、バイクをひるがえして路上に戻り、New Centuryディスコやホテルから車を飛ばして誘いに来るVIP客を待つのだ。私たちはPhan Phu Tien通りのSpace NightバーとHang Tre通りにあるオーバーナイトで営業しているMonaco Pubに寄った。どちらでも目を引く美女たちと遊び人の世界がそこにあった。
“恋人通り”の別名を持つThanh Nien通りを1組のカップルが水色のDylanに乗っているのを見たとき、女の子のあまりの美しさに私たちは度肝を抜かれた。するとHoangが「あの子が100万ドンの“商品”だって信じるかい? ちょっと声かけてみようか」と言うのだ。わずか5分足らずで美女との交渉が成立した。100万ドンの“商品”たちが起きだし、1日の仕事を始める午後一に集まってくるというPhan Dinh Phung通り58番の台湾茶屋で待ち合わせした。この究極の美女はThuyと自己紹介し、「Co Nguカフェで夫を待たせてあるから急がなきゃ。1時間だけよ」と言った。ThuyとHoangは知り合って1年近くになり、何度もベッドを共にしてきた。初めの3回はHoangから100万ドン受け取ったが、4回目からは50万ドン(約33ドル)のみ受け取るようになった。理由は“夫に似ている”と思えてきたからだという。夫に飽きたときには、ThuyのほうからHoangを呼び出して料金を取らないこともある。またHoangが普通の恋人のように改まってThuyをデートに誘うこともある。夜ディスコで踊り、酒を飲み、レストランで夕食をとり、夜中に小腹が空いたら焼飯や鶏煮込みなどの夜食をとった後、ホテルに寄って倒れこむようにしてベッドインするのだ。Hoangは平然と「それでもあいつは旦那が1番なんですよ」と言った。Hoangの情事は、他の客とコールガールの間の情事と何ら変わりはない。深入りせず、金銭で成り立っているさばけた男女関係だ。一方で、“愛人”を必要とするタイプの女の子もいるのも事実だ。
彼女らはお洒落に使う金銭も必要で、服はベルサーチ、ポロ、カルバン・クライン、化粧品はシャネル、GIO、Lamy、Z’upなどのブランド品、携帯電話はNokia、Samsungの目立つ着信音、カラー画面の新機種でなければならない。携帯番号もゴロがよく覚えやすい30万ドン以上もする番号だ。しかし、最も大金を注ぎ込むのは、ディスコでも覚醒剤でもなく、ギャンブルである。金が余っているため1回の掛け金が50万〜100万ドンにもなる。負けては取りかえすために躍起になる。Dang Dung通りに出てアクセサリーを買い、サッカーのゲームに賭け、彼氏を養う……というのが彼女らの金銭の使い道である。
コールガールにならざるを得なかったハノイの愛らしいHaという子の話を聞いたときは、本当に胸が痛んだ。彼女の家は裕福で両親は政府の役人をしていたが、揉め事が絶えず離婚した。インターネットの魅力に取りつかれ、インターネットカフェに通ううち、自活するためそこで働くようになった。それから後、ディスコMで「ハノイ1性質が悪い」ことで有名な一味にたまたま目をつけられてからというもの、Haの人生は暗闇へと向かうことになった。一味は中年の金持ち女の集まりで、Haの送迎専用車まで所持しているのだ。ある晩、彼女らはHaに無理やり覚醒剤を服用させてホテルに送り込み、複数の男の相手をさせた。辛く屈辱的であったが、彼女は目を閉じ、男たちのなすがままにされるより他なかった。そうして、男たちにちやほやされるうちにいつしか“商品”となっていたのである。
100万ドンの“商品”であるHaのような女の子は皆若く美しいが、近代的な生活に敏感で墜落しやすいのが実情だ。彼女たちの陰の世界は、贅沢な遊びとアルコール、音楽に浸り、男性のやさしい腕に抱かれるという甘いものではなく、底知れぬ墜落とその場限りの虚しい楽しみ、そして体と心には辛さと屈辱感が残るのである。青春の日々はもう2度と戻ることはないのだ。

叶姉妹、現在の収入源はコールガールじゃ無かった!会社経営に石油王?

抜群のスタイルと桁違いのセレブキャラで、
色々なバラエティー番組や、情報番組などに出演し、
お茶の間をビックリさせた叶姉妹の収入源が、
明らかになった。
噂では高級娼婦(コールガール)や石油王の愛人、
そんな話が憶測で飛び交っているが、
真相が明らかになった。

 

 

叶姉妹がメディアに登場し始めたのは2000年より少し前で、
映画の試写会に超ゴージャスな姿で現れていた姉妹は、
注目の的となっていたのだ。
年齢も分からず、仕事も分からない、分かる事は、桁違いなセレブだと言う事だけだった。
その出で立ちは、露出の多いド派手な衣装から垣間見える抜群のスタイル、
身に付けている宝石は推定何千万以上のモノばかりと、
ただ者ではないオーラを出しまくっていた。

 

当然、話題になるのに時間はかからず、メディアも放っておかなかった。

 

叶姉妹がメディアに登場するやいなや、ネットや週刊誌は色々な噂をし始めた。
そのダイナマイトボディから「セレブ御用達の高級娼婦」だとか、
セレブっぷりが異常なので「石油王の愛人」だとか言われていた。
そんな噂は今ではあまり言われていないが、今でも謎のままだった。

 

彼女達が噂になりだしてから、15年近くたった今、色々真相が明らかになって来た。
叶姉妹の姉、叶恭子が以前に書いた自叙伝的な本「蜜の味」や、
色々な本を読み解いてみます。

 

叶恭子さんがお金持ちになったキッカケは、クラブでナンパしてきたと言う、
元カレの存在が大きかった。
この元彼は父親が資産家だったそうで、遺産を相続した大金持ちだった。
最初はブランド品ばかりプレゼントされていた恭子だったが、
彼に「ブランド品ばかり貰っても使わない、嬉しいけどやめてください。」と、
プレゼントを断ったそうだ。

 

そんな事があった後から元カレが驚愕の行動に出た。
なんと元カレは恭子さんに現金を渡し始めた。
元カレは1千万円を何処にでもある様な紙袋に入れて渡したそうだ。
多い時には5千万円貰った事もあった。

 

そんなお金を元手に恭子さんは会社を設立してみようと考えた。
恭子さんが設立した会社は、ジュエリーや時計などを扱う会社で、
海外から輸入し販売するスタイルだった。
時代はバブル全盛期で、景気が最高潮な日本だった為、
恭子さんの会社は、みるみるうちに成長し、年商10億円を超える企業になった。
同時に株にも投資し、資産を増やしていった。

 

ある日恭子さんの会社に1人の老紳士が現れ、恭子さんの縁談を持ちかけたのだ。
その老紳士が持ってきた縁談は、アメリカ人80歳の石油王との縁談で、
今まで多くの女優とお見合いしたが決まらかったのだ。
そこで恭子さんに白羽の矢が立ったそうで、老紳士がこの話を持ってきた。
フランスの古城に居る石油王に会いに行って、気に入られた恭子さんだったが、
「結婚するのは、1年後以降」だと言う返事を告げられた恭子さんは、
このお見合いを断ったそうだ。(石油王の資産は880億だったそうです)
だがこの縁談を持ってきた老紳士が、縁談に前向きで、動いてくれた恭子さんに対し、
御礼をしたいと言われたので、「10億円を下さい」と言ったそうだ。

 

さらにそのお金をまた株などで増やしており、現在に至るそうだ。

 

こんな有り得ない話の様な事が現実にあるのでしょうか?
そんな事を現実にしてしまう恭子さんだからこそ、
メディアに出ても注目されるのでしょうね。

 

石油王まで虜にする恭子さんの事が解明され
少し納得出来た人も多いのではないでしょうか。

LAの高級コールガール

20代の頃は海外によく出張してましたね。

 

会社の金で仕事に出て、そのついでに決まって女遊びしてました。

 

この時はLAに1泊してトンボ帰りでしたが、その1泊の短いチャンスにコールガールを呼んで、一発楽しみました。

 

そうちゃんは英語ぺらぺらです。

 

英語圏に海外留学していたわけでも、英会話スクールに通った経験も全くないのですが、旅行とか日本に住む外人と積極的にしゃべったりして、実戦で身に着けました。

 

格闘技でいうならば道場ではなくストリートで習った、って感じですかね。

 

海外風俗慣れしているので、ホテルに居ながらにして、インターネットや雑誌にアクセスすることなく、見知らぬ街でも女を呼べます。

 

えっ、どうするのかって?

 

ホテルの部屋には電話帳が必ずあります。

 

英語圏の国では電話帳にコールガールの番号が載っているんです。

 

日本でいえばソープランドの電話番号が電話帳に載っているようなものでしょうか。

 

このことは、案外知られていないと思います。

 

そうちゃんは、誰にも教わることもなく、初めて香港に行った時に電話帳を読み込んで、この事実を見つけ出しました。

 

コールガールを呼ぶのには、電話帳のescortという欄を参照します。

 

escort serviceというのは、日本でいえばコンパニオンサービス、のことでしょうか。

 

きれいな表現で誤魔化していますが、要するに売春婦の斡旋サービスです。

 

ラスベガスなんかは大量のページに派手な広告が載っていますし、他の街でもページ数は少ないかもしれませんが、必ずあります。

 

massageの欄に載っている番号の多くも、そういう関連であることが多いです。

 

え、電話番号がわかっても、英語が話せなければ、呼び出すことは難しい、って?

 

確かにそうでしょうね。

 

けれども日常会話をするわけではありませんから、要領がわかれば案外簡単です。

 

用件はただ一つですから。

 

そうちゃんが使う会話例を参考にして下さい。

 

「Hello」

 

「Yes,� Model Agency, May I help you?」

 

「Yes. I want a girl.」

 

「What type?」

 

「White, blonde, young, slim, good- looking」

 

「Okay, What hotel?」

 

「YYY hotel, room number ZZZ」

 

「Okay, we will send a girl within an hour , Is that Okay?」

 

「Fine, How much ?」

 

「500 dollors for 2 hours」

 

「Okay, expecting, Bye」

 

 

 

どうですか。簡単でしょう?

 

ポイントは最初に「I want a girl」もしくは「I need a girl」というように用件をはっきり伝えること。

 

あいまいな表現の場合には、いたずら電話かと思って切られてしまいます。

 

もう一つ重要なことは、必ず先方から「What hotel?」と訊ねてきますから、それに対して、ホテルの名前と番号を伝えることです。

 

 

それさえ間違えなければ、何とかなります。

 

たとえば207号室の場合、two hundred sevenというのではなく、two oh seven というように一文字ずつ発音しましょう。

 

How much ?で料金を確認しておくことも重要でしょうね。

 

さて、この時は、Hollywood Model Agencyなるエスコートサービスに電話をして女の子を呼びました。

 

1時間後くらいに部屋のインターホンが鳴って到着しました。

 

年は30代前半でしょうか。金髪、いわゆるFair Blondeでキレイな女性でした。

 

スタイルもよかったです。

 

シャワーを浴びずに全身を舐めまわしました。靴とストッキングをはいたままで、パンティを脱がせてバックからアナルをベロベロ嘗め回したら、感じまくってました。そのまま立ちバックで激しくファック。

 

なかなかマンゾクな一発でした。

 

外人のあえぎ声というのも独特ですよね〜

 

終わってから色々話ました。

 

彼女はスウェーデン系で、以前は端役でしょうが、本当に女優をやっていたらしいです。前の亭主が映画プロデューサーだったということです。

 

確かにキレイで、いい女でしたね。

 

それにしてもパツキンのオマンコというのは、本当にキレイです。

 

サーモンピンクで、まさに赤貝といった風情です。

 

あれを見慣れてしまうと、日本人女性のがめちゃくちゃグロく見えてしまいます。

 

味わいも違いますしね。

 

外人のを食べなれると、日本人のが魚くさく感じられるのが不思議です。

 

さて、お互い気があったのでしょうか、彼女の方も「I had a fun」と言ってくれました。

 

帰り際には、何と自分から電話番号も教えてくれました。

 

残念なことにあれ以来、LAを訪問する機会はありませんでしたが、しばらく手帳に番号を書いた紙をはさんでましたね。

 

海外出張も長らく行ってないな〜

 

あ〜、パツキンとやりたい(笑)